「(紙の上の)ユグドラシル」プロローグ

ここには、たいそう立派な樹が生えていた。
多分僕が生まれるずっと前からそこにあったんだろう、この町に住む者なら誰しもがこの樹を知っていた。そのことが誇りなのか、父はよくこの樹を人に見せ、その由緒を人に語った。
小さい頃はこの樹の下での一家団欒がお決まりの行事のようになっていた。季節の変わり目なんかは親戚まで参加したりして、花見でもないのに樹の下で飲み食いをした。そんな、変な家族。
そう。僕にとってこの樹の想い出は、常に「家族」の想い出と同じ引き出しに入っている。

「北欧神話」によると、この世界は『ユグドラシル』という名の巨大なトネリコの樹によって支えられているという。
似たような「世界樹」「宇宙樹」の信仰は、日本も含め世界中に散らばっている。神や宗教、あるいは悟りや哲学と「樹」は大抵セットになっていて、そんな先人の影響なのか、人という生き物は「樹」を見上げる時に、大なり小なり何らかの感慨を抱いたりするものだ。その感慨を心理学に持ち込んだコッホという学者が、『バウムテスト』という心理検査を発案した。紙に樹の絵を描かせて、その枝ぶりや描き込み具合でその人の心理状態を診る訳だ。

ここに立っていて思い出すのが、この『ユグドラシル』の話と『バウムテスト』。
そして、「樹(イツキ)」という名の、『樹木医』を目指す一人の女性と出会った日のことだ。

「この樹は優しいね。」
その日、彼女は唐突に現れ、そして唐突に話し掛けてきた。
「まだ修行中だけど、中々お目に掛かれない、純粋で優しい樹。」
シュギョウという言葉に多少引っ掛かりつつ、僕は彼女から漂う異世界のような居住まいに、何処か惹かれていた。が、鬱々としてたその時の僕には、何ともエコロジストを気取った不快な奴だとしか思えなかった。彼女は言葉を続けた。
「絵を描かせてもらってもいいかな?」
そう問われた時、僕の中で底意地の悪い感情が芽生えた。今にして思えば、人を追い返すだけなのに何故そんな手の込んだことを考えたのかと不思議に思うが、僕は彼女にちょっとした遊びをしようと持ちかけた。
「バウム・テスト?」
彼女は小首を傾げながらも楽しそうに誘いに乗ってきた。やり方は習っていたし、親父の書斎で本も読んだが、結局は、あることないこと診断結果を出して、この人の良さそうな女を傷付けてみたいだけだった。
スケッチブックに二本の縦の曲線を引く彼女。おそらく幹だ。虚ろな中空構造は幼い精神構造の表れだ。樹冠にあたる部分はまるでフタだ。外界との接触が苦手なのか。…そんなことを考えてる内に、彼女はそのフタの上に山や川を書き出し、更に樹を付け足し始めた。そんな絵は見たことがない。僕は思わず口を挟んでしまった。
「これ?これはね、『ユグドラシル』…。」

その絵と共に語り始めた彼女の物語を、僕は今でも覚えている。そして、今ならはっきりと言える。僕の世界は、この樹に支えられていた。それを彼女に教わった。これから話すのは、僕が体験した、この樹と僕の物語だ。

でも同時に、これはアナタの話でもある。自分が何に根付き、何処に枝葉を伸ばし、何を咲かせ実らせるか。
樹は誰の人生でもなぞらえることが出来る。この地球で最も身近で最も長命な生き物と向き合えば、きっとアナタも何かを語りたくなるはずだ。だって、世界はまだまだ緑に満ちていて、誰の傍にも、彼等は居るのだから。

僕の名前は「樹(タツル)」。ここにあった樹にちなんで、父が付けた名だ。それが僕にはたまらなく嫌だった。

その理由を、まずは話したいと思う…。

紙の上の『ユグドラシル』―――僕の世界を教えてくれたのは、その「樹」だった。





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